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「鎌倉殿の十三人」と可児加茂

2022.12.12

こんにちは。自分研究所の柏木です。
突然ですが、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」(三谷幸喜脚本・小栗旬主演)がいよいよクライマックスを迎えようとしています。

「テレビ離れ」が進む昨今。生徒の皆さんと話していると、やっぱり大河ドラマを観ている中高生はとっても少ないようです。
ところが、そんなご時世に抗うように、今年の我が家の子どもたちは「鎌倉殿の十三人」の沼にはまっております。毎週日曜8時ばかりは、親も子も、家族全員、TVの前に集合して、そろって同じTV番組を見るという、昭和のような懐かしい時間が、我が家に流れるのです。

もともと、大河ドラマを見る習慣など、まったくなかった我が家の面々。「鎌倉殿~」に最初にひきつけられたのは高2の娘でした。きっかけはインパクトのあるオープニング曲。たまたま流れたその楽曲の素晴らしさに吹奏楽部の娘の耳は釘付けとなり、そして、血塗られた壮絶なバトルロワイアルでありながら、時折くすっと笑わせる、喜劇作家三谷幸喜ならではのウィットにとんだストーリーに魅了されていきました。おかげで彼女は今、高校の日本史Bの授業が楽しいようです。

そして、いつのころからか私たち家族はみな、「鎌倉殿の十三人」を手に汗握りながら観るようになっていたのです。

我が家に限らず、一部で熱烈なファンを獲得しているという「鎌倉殿の十三人」。

これまで、源義経(菅田将暉)、梶原景時(中村獅童)、比企能員(佐藤二郎)、源頼家(金子大地)、畠山重忠(中川大志)、源実朝(柿澤勇人)、源仲章(生田斗真)など、主だった登場人物の大半が、無残にも命を奪われるかたちで次々と物語から退場していきました。

そして物語は進み、主人公北条義時(小栗旬)と北条政子(小池栄子)の前に、いよいよラスボス後鳥羽上皇(尾上松也)が立ちはだかります。(※( )内は俳優さんです。)

可児加茂エリアの承久の乱

ところで、皆さんは、この後鳥羽上皇が起こした、日本中世史上きわめて重要なターニングポイント「承久の乱」が、われらが可児加茂エリアで戦われたことをご存じでしょうか?

京都で院政を敷き、西日本を治める後鳥羽上皇は、承久三(1221)年5月、鎌倉幕府を牛耳る北条義時らを倒して東日本を再び朝廷の支配下にもどすため、挙兵しました。

「治天の君」たる後鳥羽上皇の命により、幕府御家人の中からも朝廷方に従うものが何人も現れ、鎌倉幕府は当初、大いに動揺しました。そこにかの有名な北条政子の演説が行われます。政子の演説は、乱れかけた幕府御家人の心を一つにまとめ、北条義時の子泰時や、弟時房らに率いられた10万人もの幕府軍が、朝廷方に抗うため、京都を目指して西進することになりました。

一方、京都を出て、これを迎え撃つ朝廷軍は、木曽川右岸(岐阜県側)の各所に分かれて陣を構えていました。

6月5日、そのうちの一か所、「大井戸渡」で、両軍が初めて激突します。朝廷軍大内惟信ら2000騎と幕府軍武田・小笠原勢の5万騎とも言われる大軍が死闘を演じた古戦場「大井戸渡」こそ、可児市土田と美濃太田周辺、今の中濃大橋付近なのです。

朝廷軍は現在の美濃太田町にある虚空蔵堂あたりに陣をかまえていたと推定され、対岸の土田下切にある弘法堂には、この戦いの戦没者のものと伝わる供養塔が残っています。

幕府軍の圧勝に終わった承久の乱のあと、それまでは東日本限定の武家政権だった鎌倉幕府が、はからずも西日本までも支配下におさめることとなり、日本の中世、つまり武士の世の中が名実ともに始まっていくことになるのです。

一昨年の大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公明智光秀もそうでしたが、地元にゆかりの歴史人物やできごとが脚光を浴びるのは、なんだかうれしいものですよね。しかし、そもそも明智光秀や承久の乱について知らなければ、そんな喜びも誇らしさも感じることはできません。

故郷のことを知り、愛することは、皆さんが社会で活躍し、また幸福になるうえでの重要な要素の1つだと私は思います。

地元、都会、はたまた海外。将来、皆さんがどこで生き、活躍しようとも、皆さんには、自らを育んでくれた故郷の文化や歴史や産業などを知り、その魅力や価値を他に語れる大人であってほしいと願ってやみません。

ところで、実は、来年の大河ドラマ「どうする家康」(松本潤主演)でも、われらが可児・加茂エリアの郷土の英雄が登場します(たぶん)。今更「鎌倉殿」を観るのはちょっと。。という人は、来年の「どうする家康」、観てみませんか?